越中の国の拾絵は漱石枕流、右を見ては左と云い、烏を見ては白いと云った。
或暁更前、終には期末試験が厭になった拾絵は、急に顔色を変えて寝床から飛び上がり
何かわけの分からない事を叫びながら闇の中に駆け出した。
彼は二度と戻って来なかった。
呉羽山中を捜しても何の手掛かりもない。その後の彼の行方を知るものは誰も無い。
翌年、元会計役員、駿河の十薬庵という者、
偉い人からのお遣いを頼まれ呉羽の山中に参る。
翌日まだ陽も昇らぬ内に十薬庵は自前の錫杖を恃みに、呉羽の闇の中に足を踏み入れた。
残月の光を頼りに草叢をかき分けて行ったとき、何か得体の知れない物が草と草の合間から躍り出、身を翻し、月明りの影へ飛び込んで行った。
その時、十薬庵は言葉の繰り返されるのを聞いた。
「モウイヤダ。モウタクサンダ。
ルジャンドル陪関数ハモウミタクナイ
二階斉次線形微分方程式特殊解ハモウミタクナイ。
ブラックハイヤダ。ハタラキタクナイ」
十薬庵は声のする方へ歩み、その闇の中を掻き分けた時、そこに期末試験へと姿形を変えた拾絵を見つけた。
余りのストレスに我が身を憎悪に巻かれ期末試験に心を呑まれたのだ。
その声に十薬庵は聞き覚えがあった。恐懼の中にも彼は咄嗟に思い当たって叫んだ。
「その声は、我が友、拾絵では無いか?」
十薬庵は拾絵と同じ学舎の下に学び、同好会を作り上げた仲間であった。
或る時から拾絵は音沙汰無しに行方をくらましていた。
叢の中からは暫く、返事がなかった。
しのび泣きかと思われる微かな声が時々漏れる丈である。
ややあって、低い声が聞こえた
「いかにも私は、拾絵である。」
久闊の友との邂逅に、恐懼の念も忘れた十薬庵は、咄嗟に錫杖を構え「破ァァ!」と叫んだ。
拾絵の身体が光に包まれ天に昇っていく。
そう、これが宮生まれのTさんの力である。
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十薬庵 (日曜日, 04 8月 2013 01:03)
手前、生まれは伊豆国に候。駿河では御座らん。