第一回使い所のない作法講座

 久しく部活から離れている私であるが、中納言ゆきてる卿より今週のブログ当番を仰せつかった。部活に参加していない人間にブログ記事を書けとは無体な事を言うものだと思ったが、良く考えたら今まで私が書いてきた記事も、部活に関係あるのか無いのか解らない様なものなのであった。それに、私が現在部活に参加していない事は中納言も重々承知のはずである。であるならば、今回のブログ当番では部活に関係ない事柄を書き連ねる大義名分を与えられた、それも、このホームページの管理主事たる事業担当から与えられたと考えても良いのではないだろうか。何の問題も無いね。元気を出して筆を振るう事にする。

 

 さて、今日は回遊部長代行邸でクリスマス会が行われている。が、その件については参加者の誰かが記事を執筆するだろうから置いておく。代わりに今回は、特に使いどころのない作法の話でもしてみようかと思う。

 今回の論題は、「食事の席で偉い人に醤油を取ってもらう」である。偉い人、それもめちゃくちゃ偉い人に醤油を取ってもらうためには、どのようにお願いするのが正解なのか、ということについて述べる。

 

 偉い人、身近で考えるなら、そう、例えば楸部長との会食において、醤油を使いたくなったとする。しかし、醤油差しは自分よりやや遠いところ、楸部長のすぐ側にあるとする。この場面で、強引に腕を伸ばして醤油を取るのはマナー違反も甚だしい。だから、部長に醤油を取ってもらいたい。さて、なんとお願いするべきか。

 

 これが並みの部長、例えば初代殿を相手にしているのであれば、最大限敬意を表するとしても「初代殿、恐れ入りますが醤油を取って頂けませんか?」とお願いすれば十分である。最悪、「拾い絵君、醤油」とだけ言ったとしても、彼は醤油を取ってくれるだろう。

 翻って当代様は、かつて「神」と崇められ、或いは「夜の帝王」と恐れられ、若しくは「ブラックザキさん」と謳われた、掛け捲くも畏き部長である。うっかり「楸君、醤油」などとぞんざいな願い事をすれば、たちどころに天譴を受けることになるであろう。叙上の、初代殿に最大限の敬意を表している文例を準用してもまだ不足である。では、どう言えば良いのか。

 

 実を言うと、日本語の敬語体系には、こういう場合に用いるべき表現は存在しない。

 言霊の幸う我が国は、言挙げせぬ国でもある。『言挙げ』とは、自分の意志感情を言葉によってはっきりと表現する事を言う。言霊、つまり言葉には現実に干渉する力がある、と信じた我々の御先祖は、その信仰ゆえ、うっかり口にした言葉がどんな災いを呼ぶか解らない、だから言葉を軽々しく発してはならない、出来る限り口は慎むべきである、と考えたのである。

 この信仰は、日本人の精神的基礎の一隅を占めるに至った。それゆえ、日本人は思考感情意志要求の類を口にする事を慎むようになった。やがてそれは、そういった事柄を露骨に表現する事は恥ずかしい事である、という常識として確立されるに至った。

 そういうわけで、日本人は直截的自己表現を嫌う。またその為に、日本語体系には婉曲表現が異常なまでに発達した。「クラブに持ち帰り前向きに検討の上善処させて頂きたいと思います」が「お断りします」の意であるというのはその最たる例と言えよう。社交辞令どころの騒ぎではない。

 この為に外人さんは日本人のことを「何を考えているのか判らない」と評するのである。しかし、外人さんはともかく、日本人同士のやり取りでは、こんな曖昧な表現形式でもあまり困ったことにならない。それは何故かと言えば、わが国の国民には、表現を控える代わりに発達した「空気を読む能力」が具わっているからである。

 本邦においては、表現修辞とそれを理解する能力よりもむしろ、言外にそれらを表現する能力、及び言葉の裏・行間を読む能力が発達した。一般に「日本語が難しい」と言われるのは、つまり、そういう事である。

 

 長々と述べたが、このように、わが国では相手に自分の所願を直接述べる事は作法破りなのである。仲間内ならともかく、偉い人にお願いする事はまかりならない。仮にそれを叶えてもらうと、自分の意志で相手を使役したことに、つまり目上の人を使う事になる、という考えである。あくまで、相手の意志によって行動を起こしてもらわなければならないのである。それ故、敬語表現では「○○してください」「○○させてください」ではなく「○○して頂けますか?」「○○させて頂けますか?」という疑問形が希求形の代用となる。

 

 で、相手が自分よりもはるかに目上の場合は、この疑問形式御願いも使ってはならない、という事になっている。

 ではどうすればよいのか、どうしたら楸部長に醤油を取ってもらえるのか。これはもう、相手に察してもらうしかない。相手に空気を読んでもらうしかないのである。

 だから、今回挙げた場面設定のような場合なら、箸を休め、何も言わず物欲しげな目付きで醤油をじっと見つめる、というのが正解である。申し訳なさげな様子で「あ、その……」などと口籠って見せるのも可。

 このようにして相手に「醤油を欲しがっている」ということを察してもらい、醤油を取ってもらう、というのが作法に則った正しい振る舞いなのである。冗談みたいだが、本当の話。

 勿論、相手が気付いてくれないかもしれないし、気付いても黙殺される可能性もある。その場合は、涙を飲んで醤油無しの食事を敢行する事になる。我らが楸部長は気配りが出来、かつ慈悲深くあらせられる為、その点安心である。しかし、社会に出たらこういう事態を防ぐために、普段から目上の人とは良好な関係を築いておかなければならない。全く、社会と言うものは面倒なものである。

 

 以上、第一回使い所のない作法講座はここまで。第一回とは銘打っているが、恐らく需要は無いだろうから、第二回以降の予定は無い。

 

十薬庵

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コメント: 2
  • #1

    拾い絵 (金曜日, 27 12月 2013 18:55)

    映画化決定

  • #2

    たろう (月曜日, 06 1月 2014 00:22)

    たろう。