ときふりて おもいたるは ひびのちり

罪深いもの丈を選らぶのは自らが進む欺罔の中に見る希望か何か。

寄せるは猜疑と邪推の上で平衡を取る弥次郎兵衛、自立型のモロロピョンモス。

画一的な平生は、実った一房の夏蜜柑の如く、様相を鋭角に成して理想に突き立てる。

そうして今日も無為な小路を無味に往来し応報に帰す。

灯りの無い家々の間を抜け、料峭に夏の前を感ずる鼻の先は、懐かしき匂いを捉えて、

脊髄に従う二束の棒は、左右の相談へ思いを投ずることなき。

冷やかな目に痛むのは心ではなく体を巡るヒトの何か。

 

サカノウエヒロイエ@寝起き

 

 

モロロピョンモス

タナトスとエロスを抱合的に含むジンテーゼ的複合概念

シュターデン解釈やフェレンゲル予想等、

その扱いは多岐に渡り、基礎哲学の礎の土台の基盤となっている

専門書によれば、「夢うつつのときに頭の中にふわりと現れる形容しがたい漠然とした不安焦燥の何か、または遠足の前のソワソワした気持ち。形としてはナナフシに近い。人の心を巣食い、心を取り込む。自立型と非自立型があり、例としては芥川龍之介がこれに取り込まれた。」とある。

引用『帝政富山国大学猫文学部哲学部門和洋菓子班 JYアン著「あなたとわたしの哲学入門:定価500円(税抜)」』より

 

又、この概念は、カーテシアンの系譜を継ぐ、カントと同世代の哲学者、ヘンリ、が提起した。

語源は、ラテン語にある、moro-空腹 ropiom-霧の様なもの にあるとされ、日本にこの概念が渡ったのは、1800年ごろである。西洋哲学を専門とするヤクア  ジュウンという日本人がその著書の中に記していることを確認した人を聞いたことがある人を知っている。その第一人者がJYアンである。

 

タソガレノヒロイエ@夕方

 

思い返せば今年で27歳。体にもガタが出始めるころである。

娘は今年で4歳になり、その活気に眩しさを感じる。

しかし、それが幸せであるのは間違いない。

今日もテレビゲームのセーブなみの間隔しか寝ていない気がする。

そうこうして一日が始動すれば、社会の原理に巻かれ働くのである。

経済の問題、家庭の問題、自身の問題、問題は山積みである。

何かに手をつけ様とすれども伸びた手は空を掴むのみである。

そんな私にも楽しみがある。それは自立型モロロピョンモスである。

まぁ、形はナナフシに近いのであるが、似て非なるものである。

昨今はモロピョンブームが水面下で盛り上がりを見せているのか、

閨秀騎士もいるくらいである。

この自立型のモロロピョンモスは、その殆どは小麦粉であり、

残りの殆どは優しさであり、怠さである。

わずかに残った電子回路は、その自立の自律を事理する極めて重要な機構である。

又、その生産過程はパスタを作るそれとは似ているが、人類の歴史の発展と供に展開されてきたという点で全く異なることは容易に分かっていただけると思う。

これで、おおまかな自立型モロロピョンモスについてはわかっていただけたと思う。大体は「僕ナナフシ発破大好き」である。ここまで読み進めた読者には、これは語呂合わせであることは明白であろう。

詳しくは、有名な著書「Basic Mororopiommos Method 十薬庵出版」をお読み頂きたい。

次回は非自立型モロロピョンモスを取り上げようと思う。

 

オナカガスイタヨヒロイエ@空腹

 

  ベーコンの書物を開いた彼女の意識の隅に、百合の様に白き肌のニュクス神が佇んでいた。

彼女は死を予見して居た。

それは肉が肉で無くなるのと同じ様に、血を盛る袋の中に淀んだ一滴の不安が、何時しか骨が骨で無くなる様に、形而上の何かが、輪郭をもってして彼女の前に立ちはだかるのに似ていた。

呼吸足る呼吸を慈しみ乍ら、彼女は身体の先まで染み入る漠然とした不安が、精神を病ませる事を不図思い出させる度に生きることを実感した。

抗の底で横たわる彼女は、その意識の中で度々目を醒ました。

その意識と意識の合間の中で、幾年の昔に有った事々が彼女の前に伺いを立ててくる、此れが走馬灯かな、と彼女は少し丈面白くなった。

目の奥が二度三度パチパチと成ったあとに、枕元に何かの気配を感じた。もうベーコンは手の内から消えて無くなっていた。

油膜の様な不穏が肌から綿へ流れ込む不愉快を、彼女は遠くから眺める様な心持ちで、ただじっとしていた。

十七字の景色が頭の中で洪水を成している。眼を閉じれば野菊が咲く何処かにいる。

此所は何処か。何処だろう。考えている内に彼女の意識は深淵に落込む様に、その影を消していった。

彼女の精神は端から解れていく縮緬の、殆ど一糸になった神経を残すのみで、終には彼女は神経を衰弱させた。

彼女は彼女の精神の死を予見していた。

 

 

  僕が彼女に会いに行ったのは或る年の四月の終わりだった。

或る晩の夢の中で彼女と何かを話していた。其れから彼女の事を思い出す事が度々あった。

僕は電車に三時間揺られ、彼女に会いに行ったのだ。

僕が会い行って暫くの後、それは幾日か幾月かは忘れたが、彼女は歳を重ねる業を無くした。

その訃音を何伝で聞いたかは思い出せない。友人伝だったか、家族伝だったか。

彼女を取り巻いていたあの漠然とした不安や焦燥が、今僕に犇き合い寄る様相を見せている。

僕はその影に彼女の姿を見て、彼女の事を思い出している。

 

 

  彼女は、本の中に救いを見つけようとしていた、と言うよりは墓標をその中に見出そうとしていたのかもしれない。

それは、カント、ニーチェ、ヘーゲル、スピノザ……であった。

彼女は、その紙上の言葉を、経を読むかの様な覚悟をして精神の上へ取り出してみては、自身の心と談判をしていた。

「本の中に、救いが有るかと思っていたけれど。」彼女の顔はその時から死の色を呈していた。

「何から救われたいのさ」「さあ。分からない」そんな問答があったことを思い出した。

「道を知れば死んだってかまわないのさ」「何それ」「君も歳をとればわかるよ」「僕より歳下じゃないか」その時の彼女の表情は優しさだけを帯びていた。月の光の下に居る様に彼女は美しかった。

「図書館の或る本にこんな落書きがあったんだ」彼女はサラサラと紙の上へ認めた。

真の心を成し得る為に死を持ってして旅立たん。この旅は我が心の……「まぁいいか」彼女は筆を置いて伸びをした後、僕の表情を品定めする如く一瞥した。

「それは」その眼の訴えに応える如く「どういう意味なのかな」と僕は思考の停止を宣言した。ニーチェ足るニーチェを読んだことも、ヘーゲル足るヘーゲルを考えたこともない僕にはさっぱりだった。「そんなのは当人しか分からないよ」彼女はふふふと笑った。

「君は」か細い声が頭の神経の隅を突つく。「ずっと君で居なよ」薄氷越しの水の底に、彼女を見出す様な気持ちで僕はその声を聞いた。

 

 

  僕は合皮の張られた染みだらけのソファに身体を沈めて、昔の事を思い出していた。

窓の向こうの景色はその経年に相応のセピアを彩っている。

「自己意識は他者に対して即且つ対自的に存在する」僕は不図耳慣れない言葉が、自身の口から漏れだしているものである事に気づいた。

「何を言っているんだろう」僕は過剰の糖を底に残す珈琲に匙を沈めて、その曇よりとした雰囲気に似た壁の、蟻の巣の様な溝を目でなぞっていた。

この珈琲から糖を取り分けてやる事は出来ない。底に沈んだ分丈ならどうにかしてやる事もできない事はないけれど。

僕は自分の心の裡に、こんな気持ちを向けながら、分明ではない不安の幾重にも重なった仄暗さの中に、何かの救いを見た気がした。

それから僕は寝てしまった。心臓の中の秒針を、夢中に忘却したかの如く僕は眠り続けていた。

何時間も経った後、朝日が生命を灯すかの様に、僕は目を覚ました。その眠りの中にいる間、彼女の夢を見ていた。

 

 

「純真な精神を汚す前に私は身体と心を分かちたいと思ったんだ」

「身体と心とが木の根と幹の様に分けることなんて出来やしないと思いもある」

「だけれど私は、耐え得ることの方が出来やしなかった」

「純真な私の心の一部は、身体に囚われた心の一部と別離を図ろうとしていた」

「そのどちらも私である事には相違ないけれど」

「私は耐える事が出来やしなかった」

「私の心に淀んだ不安は、死に至る病何かではない」

「私は唯一の希望を見出したんだ」

「君は君のままで居てくれ給へよ」

「私はいろんな事を君に話した」

「それは君の中を掻き回す言葉だったかもしれない」

「私は頭の何処かでそれを知っていた」

「知っていながら私は、私の裡に留めておく丈ではいられなかった」

「君を苦しめたい訳ではなかったんだ」

「これは私の身勝手で、これからも私の身勝手だ」

「君は私をいつか恨むかもしれない」

「何時の日か私と同じ丈の淀みを心の底に気づくかもしれない」

「君は私をその時恨むだろうか」

 

 

僕は考えていた。

それからずっと考えていた。

 

ヨクワカラナイイエ@良く分からない

 

月傘に 朧に見ゆる 砂時計

 

クラガリノヒロイエ@寝起き

 

 

 

یہ ایک نئی صبح آیا ہے کہ امید کی ایک صبح ہے
آسمان خوشی میں سینے کھولنے کے دیکھو
ریڈیو کی آواز ایک صحت مند چھاتی
آپ بدبو آ رہی ہے ہوا کھولیں
ایک سو تئیس یہ
گرین ایک نئی صبح کے تحت چمک
میں ہفتہ مسلسل اعضاء پر قدم تازہ
ریڈیو کے ساتھ صحت مند اعضاء
اور اس وسیع سرزمین کو باہر تک پہنچنے
ایک سو تئیس یہ

جاگ کرنے کی صلاحیت @SacaNoweHiroea

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コメント: 4
  • #1

    砂時計 (金曜日, 13 6月 2014 14:43)

     あれ、なんか増えましたか。

     全部面白く読ませていただきました。

  • #2

    hiroea (金曜日, 13 6月 2014 16:07)

    ツイッターやらと同じ原理でリアルタイム更新です

  • #3

    砂時計 (木曜日, 19 6月 2014 11:05)

     月傘とは何でしょうか?

  • #4

    (金曜日, 20 6月 2014 02:57)

    アンブレラムーンです