動物が動物を保つのは本能に依拠し、
人間が人間を保つのは道徳に依拠すれば、
自己を自己として保つのには記憶を依拠する。
自分は自分であるという根拠も確かさも既に無い。
自分は自分であるという幻想に巻かれて、
自意識は自分の中にのみあるということを信じている丈である。
信じることは単に望みである。
意識の散布の中、記憶の正しさは像でしかない。
真理の中、人間の論理は添え木でしかない。
外と内を隔する肉の壁を跨いで互いを遣り取りする様に、
自己を自己として区別する意味を求めている丈であろう。
世間はそういった事を急かす。
他者と自己の区分、理性と本能の差別、物質依存への帰着。
何も正しくないと言うのなら何をしたって正しいのだろう。
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十 (水曜日, 03 9月 2014 13:14)
何言ってんだ、何も正しくないなら何をしたって正しくないにきまってるだろ。
ひろいえ (水曜日, 03 9月 2014 14:40)
うんしってる
砂時計 (金曜日, 26 9月 2014 20:45)
道具がたくさん散らばってると、なんかいいですよね。