たぶん。きっと。およそ目にするものの内、その殆どはどうでもいいことなので。
自分と関わりのない劇場の薄明りに、ぼんやりと仄暗い目を向けるように。自分を留めることができるのは、最後の最後には自分だけでしかなく、結局他人は他人でしかない。心が朽ちて土にかえったときに、その粉々が何処とも知れない場所にふわりと舞い上がるのなら、名前も知らない誰かの許に舞い落ちるのなら、それだけで、それこそが無上の幸福と為り得るのだろう。花が、木々が、その上で葉を茂らせるのなら、それだけで感涙を得ることができるのでだろう。全部は全部太陽のせい。考えるまでも無く。自分を守るのは、あるいは自分を曲げないことでもあるのかもしれない。けれども果たして曲げられないほど硬いものなど、いったい何処にあるのだろう。何処ぞに転がってでもいるのだろうか。転げて来るのならば、一つ罠でも仕掛けてみようか。知覚の内部にあるものは球体の関節で幾重にも折れ曲がる。だらりと力を抜く。がらがらと崩れてしまえ。糸人形のような。だらりと力を抜く。何でもないことに心を揺らすのは何故。薄明りの部屋の中に、網戸で仕切られた窓がある。遠景を望むのは何故。遠くの緑を見れば目が安らぐ。川の音に耳を預けていたい。全部が全部、太陽のせい。オーロラは綺麗。耳をふさいで、目をふさいで。しまいには口までふさぐ。全部が全部、太陽のせい。ダンスホールの天井は高い。陽の光は心地良い。無駄な他人に前に進むのを妨げられるのは最悪だ。兄元の塵に足をとられるのは気怠い。傍にいる誰かには其処にいてほしい。月明りには照らしていてほしい。太陽の光は目に痛い。蛍光灯のそれは存外悪くない。全部が全部太陽のせい。体が温まれば、心も温かい。炬燵に蜜柑で十分。炬燵も蜜柑もなければ、コーヒーとチョコレートでも良い。関係のないことに何故心を揺らすのか。心底分からない。どうでもいいことに何故そこまで腐心するのか。痛みを伴わないのなら、避けずとも良いだろうに。不快を伴わないのなら、そこにあったところで何の問題も無いだろうに。嫌なものは許さない。消えてしまえ。なくなってしまえ。崩れてしまえ。人形みたいに。がらがらと。それを箒で集めて、まとめてゴミ箱に入れてやる。ゴミ収集は早朝。きっと間に合わない。仕方が無いから、取り敢えずは此処に置いておこう。全部が全部太陽のせい。平和を減らして心の安定を図る。逃げ道がある。茹だる電車内で窓を開ける術がある。飛行機では死ぬ。安らぎを得られれば、とりあえずは安らぐ。全部は全部太陽のせい。ゴミは腐るけれど、部屋は暖かい。
コメントをお書きください
ぺん (水曜日, 13 7月 2016 04:16)
太陽嫌いなんですね
はら (水曜日, 13 7月 2016 12:15)
誰かが誰かのために動くのは決して誰かが誰かを思って動いてる訳じゃないと思うんだ。みんながみんな自分から見た景色は美しくあってほしいんだよ。