0 愚者

主題 自由・リスク・若さ・情熱・未熟さ

正位置 ・自由、自発性、向こう見ず

    ・無計画、本能的

    ・あらゆる可能性

    ・出発

 

逆位置 ・警戒、成熟

    ・計画を練る必要がある

    ・用心深すぎる、心配し過ぎ

    ・本能の抑圧、本能との乖離

 

カバラとの対応 ヘブライ文字アレフに対応し、生命の樹に於いてケテル‐コクマー間  

        のパスに当たる。

占星術との対応 諸説あるが、天体や星座ではなく風の元素に対応させるのが無難

        か。場合によっては地球に対応させることも可。

 まず断わっておくが、本稿及び以降の文章では、特に断りがない場合はライダー=ウェイト版タロットについて述べる。

 

 さて、愚者である。このカードに描かれている絵柄については、各自検索をかけるなり何なりして調べてみてほしいと思う。図版を掲載すると著作権の絡みでいろいろと面倒なのである。以降も図版の掲載には細心の注意を払うので、実際の絵柄は各自調べて見てもらおうと思う。

 とはいえ、それで話を終わらせては怠慢の誹りをまぬかれないので、稚拙ながら図版の説明を試みる。

 

 まず、このカードの中央に描かれているのは若い人物である。この人物が即ち愚者である。一般には愚者は「若い男性」であるとされるが、当福寿亭はこの説に対し僭越を承知で疑問を呈する。

 そもそも、愚者の本質とはカードの番号、0にある。発生開始を表す1の前に座を占める0は、何者でもない状態、或いは何者にも成り得る可能性を意味する。

 発生以前の0は当然ながら未分化であり、未だに何者でも無く、あらゆる属性を有さない。したがって、男性女性の別もありはしない。この故により、愚者を「若い男性」とするわけにはいかないのである。21番、世界のカードの人物が両性具有であることの対を成す意味でも、この愚者は男女未分化と考えるべきなのである。

 さてその愚者であるが、明るい色調のチュニックを着ており、鞄を括り付けた棒を右肩に懸けている。頭には羽根飾りのついた帽子をかぶり、左手には白い花を摘まみ持っている。

 愚者は左側に向かって進んでいる。大アルカナ二十二枚のカードの内、移動する人物が描かれているのはこの愚者のみである。

 さて、愚者の進む先であるが、その先は崖である。しかしながら、愚者の目線は左上方を向いているため、愚者が崖の存在に気付いているか否かは定かではない。

 愚者の右上には太陽が描かれており、右下には白い犬が、愚者の足元に吠えかかるように描かれている。

 背景は青空であり、遠方に山が描かれている。

 

 絵柄の説明はこれくらいにして、今度は絵解きを試みよう。

 まず、上でも述べた通り、愚者は大アルカナ中唯一の移動する人物の絵柄である。このことから、愚者には特に「旅人」という意味が与えられる。

 イーデン・グレイによれば、大アルカナはこの愚者の成長過程を描いた一連の絵巻物であるとされる。この説は今日もっとも人口に膾炙した説であるように思う。但し、これについても我が福寿亭は異論を呈したい。

 まず第一に、愚者が大アルカナの先頭に配されるようになったのは、随分近年の事である。古くは20.審判と21.世界の間に配されていたり、21.世界の後に置かれていたりとその席次は確定していなかったのである。

 第二に、愚者は左を向いている。左側は過去や内的世界の象徴であり、それらを志向する愚者が大アルカナの道筋を辿って完成に至る、というのは幾らか無理があるように思われる。愚者は、むしろ既に完成した世界、既存の秩序に背を向けて逸脱してきた者であると考えるべきである。愚者はこれから完成する者ではなく、完成した何かしらを捨て去った者である。

 この二つの理由から、福寿亭は愚者を大アルカナの主人公であるとは認めない。

 

 閑話休題、絵解きに戻る。愚者に追従する犬は何であるか。これは、愚者の動物的本能であると考えるべきだろうか。また、見ようによっては、この犬は愚者の前にある崖について注意を促しているように見えなくもない。直観的な危険察知、という面をカードの解釈に活かせると良いのではないだろうか。

 この犬の他に、太陽と花が白く描かれている。白は純粋さを示す色である。それに対し、帽子の深紅のリボンは情熱を意味する。総じて若者らしさが描かれたカードである。

 

 さて、上でも少し述べたが、愚者とは「出ていく者」である。1.魔術師が「入ってきた者」であるのと対を成す。

 何から出ていくのかと言えば、勿論、それまで居た世界からである。もと居た世界における地位肩書身分属性、人間関係仕事責任その他一切を投げ出した姿が即ち愚者である。世界を脱して別の世界を志向し、かつその世界に対して目的を持たず、旅程についても計画を持たない、というのがこのカードの示すところである。その点に於いて、同じ世捨て人ではあっても真理探究の目的を有する9.隠者とは趣を異にする。強いて言うなら、目的を捨てる事が愚者の目的である。

 

 実占に於いてこのカードが現れてくるということは、つまりその人は現在愚者になる必要がある、ということである。計画性や慎重さはこの際放棄する事を、占い師は勧めなければならない。

 

 繰り返すが、このカードの本質は0である事である。0以外の性質を有さない、と考えるのが無難である。解釈に当たってはあまり絵柄に囚われてはいけない。

 

福寿亭十薬庵